
言語過程説の探求 第二巻 言語本質論の探求と個別言語の分析
まえがき
言語過程説の形成過程――言語的表現行為論の構築―― 佐良木昌
指示と表現―中国語文法研究の方法論― 小川文昭
送り仮名の本質と原則 上田博和
言語の過程的構造からみた日英語の比較対照 宮崎正弘
まえがき
『言語過程説の探求』の叢書は、言語学および自然言語処理の分野において学的探求を続けている研究者による論文集であり三巻から成る。第一巻の刊行(二〇〇四年)から久しく十余年を経て第三巻(二〇一七年)を刊行し、今回第二巻である本書を刊行して全巻刊行を完了した。
各巻各論文の執筆者はそれぞれ独自に学的研鑽を積み重ねているが、時枝誠記が提唱した言語過程説を批判的に継承し発展させるという立場を同じくしている。観念弁証法の転倒と同様に言語過程説を唯物論的に改作し認識と言語の科学的理論を確立する、あるいは精神現象学および純粋現象学への唯物論的批判を通じて言語と意識とを物質の現象学として把握する、あるいは感性的労働の論理を基礎として、言語活動者の主体的活動において言語表現を捉える、といった、それぞれの視点で執筆された諸論考が収録される。本書『言語過程説の探求』第二巻「言語本質論の探究と個別言語の分析」には、関連論文四稿を収める。
一 「言語過程説の形成過程―言語的表現行為論の構築―」 佐良木昌
本論文は、『国語学原論』に至る言語過程説の形成過程を追思考している。言語過程説の構築過程が第一章から第四章に架けて追跡され、第五章では場面論を基軸として言語過程論が言語的表現行為論として再編されていることが剔出されている。最後の第六章に於いて『国語学原論』の場面論について論じられている。
本稿第一章・第二章では、時枝誠記の国語学史研究および古典の解釈文法研究が、対象と志向的感情との関係から捉え返されることにより、言語の表現過程を弁別して客体的表現と主体的表現との把握に繋がったことが論じられている。第三章では、表現されたものから話者の表現意識に迫る時枝の方法は、外部世界から遮断して純粋意識を究めるという現象学の方法とは明らかに異なることが論じられている。現象学では、純粋意識に於いて対象への志向について論及しているのであるが、時枝の言語本質論は純粋意識ではなく表現意識に於ける対象志向を論じているとの論証が示されている。第四章では、概念語と観念語との表現過程に於ける本質的区別に基づいて、意味構造と統語形態とを統一した入子型構造形式へと展開する時枝の詞辞論の形成過程が追跡されている。第五章では、二つの志向関係論(素材への志向と、場面への志向)は、表現行為に於ける目的意識の解明の方法であって現象学の地平を超えていることが指摘され、山内得立の現象学解説に拠りつつも、時枝は「言語は人間の表現理解の一つである」という立場から表現的行為および表現意識の場所的構造を捉えるに至ったと結論されている。第六章では、実体論的に敬語敬辞の表現構造を明らかにしたという学的経験を経て、『国語学原論』では、現象学的な「二つの志向関係」という視座は後景に退き、二つの志向関係は表現行為の実践ヴェクトルとして揚棄され統合されたと指摘されている。即ち、表現主体が言語的表現を為す処として場所を限定することで場面が成立すると共に、場面は表現主体の表現意識を限定する。このように、言語的表現行為を場所的行為として時枝は掴み行為の主体的構造の一端を捉えたことが明示されている。場面を言語的表現を為す処とする場面論を闡くものである。
本論文と併せて本シリーズ第三巻「自然言語処理への展開」に所収の佐良木論文「時枝古典解釈文法から翻訳過程論への示唆」を閲読されたい。
二 指示と表現―中国語文法についての一つの考え方― 小川文昭
本論文は、指示と表現とについて、言語本質論の領域に於いて考察を深めると共に、その考察に基づいて中国語という個別言語の表現構造を論じている。
本稿第一章から第四章に架けては、対象認識論を前提とした指示と表現とについての展開である。とりわけ説かれているのは、第三章および第四章においての表現過程である。話し手により言語に表現される個別の概念は、言語規範の掣肘下にあると共に「常に生起と消滅を繰返す個別の動的な認識である。したがって言語の本質の追究には、動的な表現過程を見ることが不可欠であり、言語過程説の根拠はここにある。」(第三章十八)、以上の視座から第四章(二十~二十八)に於いて言語表現の動的過程に迫っている。その一つが時枝場面論の捉え返しである。時枝の云う場所(現場)が「現実の環境として必ずあるのに対して、言語表現の「場面」は、表現された言語の「対象→認識→表現」中の「認識」、すなわち話し手の内面に映っている話し手の外部の世界の認識が含まれて成立する。したがって、話し手の内面には表現対象が映っているだけでなく、現実の表現の受け手が実際にいる現場の認識に重なって存在している。そのため言語表現では、その現場の認識と、表現対象の世界の認識とが二重化されて両者ともに表現される。」(第四章二十)。
本稿の後半は中国語論である。その叙述構成は、「第五章 中国語の文法的特徴」、「第六章 文の冒頭と名詞・名詞句(主部)」、「第七章 中国語の動詞・名詞(賓語)」である。本巻編者は中国語に不案内であるため、紹介は差し控えさせていただくが、「第六章 文の冒頭と名詞・名詞句(主部)」に編者は着目した。そこでは時枝場面論を踏まえて中国語の文法的構造が解明されている。「三十五 表現の場面としての主部」では、「文の主部(主語)と述部(述語)は、話をする現場と人とではなく、言語の場面と話し手の世界との関係を反映した構成である。」、そして「表現のための場面を設定するというのが主部(主語)の文法的な意味である。」と指摘されている。さらに「三十六 部分的な場面としての主部」、「三十七 全体的な場面としての主部」に関する論述が続いている。中国語論の刮目すべき展開である。
本論文と併せて本シリーズ第一巻に所収の小川論文「主体的言語学の意義―言語表現の二重性の発見―」を繙読されたい。
三 送仮名の本質と原則 上田博和
本論文は、「一、送仮名の本質」を前提的に論じて「二、送仮名の原則」を詳らかにした論考である。
本稿の要諦は、漢字の読みを示すのは、振仮名ではなく、「振仮名+送仮名」であること、ここにある。「漢字の振仮名は <漢宇の読み>の表記であるが、送仮名も <漢字の読み>の表記である。<漢字の読み>は、<振仮名>に示されるのではなく、<振仮名+送仮名>に示される。「送仮名の付かない漢字」は、この加算式が事実上 <振仮名>のみとなるだけのことである。漢字の読みは、一例を示すならば、「終る」と表記される場合、「終」の読みは、「おわ」ではなく、「おわる」であり、動詞は語尾(活用語尾)を送るのが原則であるから、「終わる」でなく「終る」と送るのである。
本稿前半では、送仮名の示す読みを無視して、振仮名の示す読みだけを漢字の読みとする現行の送仮名観は、戦時中の文部省に発生したことが明らかにされている。文部省の倉野憲司が、橋本進吉の「漢字で書いた語の読み方を明かにする為に下に添へて書く仮名」という送仮名観は漢字本位であるとして「如何なる部分を漢字で、如何なる部分を仮名で書くか」という送仮名観を対置したのである。その謬見の背景を明治期の送仮名観にまで遡りながら、現行の国語審議会答申「改定送り仮名の付け方」に倉野説が承継されていると、本稿「2 仮名を送る」では指摘されている。本稿後半では、時枝説などの送仮名諸説の吟味を前提に、動詞の「送仮名の原則」、即ち動詞は語尾を送るについて論じられている。「動詞の未然形の語尾はすべて一音節である」ことから、否定の「ない」を接続させて動詞の語尾と語幹との認定が容易になると指摘されている。「「ない」のすぐ上の仮名一文字が未然形の語尾であり、その更に上の仮名すべてが語幹である。」との達見に読者は啓蒙されるだろう。
本論文と併せてシリーズ第一巻に所収の上田論文、「無活用動詞論―漢語外来語の属性概念表現―」を参看されたい。
四 言語の過程的構造からみた日英語の比較対照 宮崎正弘
本論文は、「言語の本質が対象-認識-表現という過程的構造にあるとの立場から、日本語と英語とを比較対照し、文構造・表現の違いやその背後にある発想法、認識の違い」(「まえがき」)について詳述して比較表現文法を提示するものである。
「第一章 文の基本構造と認識」では、日英語それぞれについて、単文の構造(第一節)、そして連体節および関係詞の特質(第二節)および連用節と英語複文・重文(第三節)の構造および接続が比較考証されている。一つには、「第二節 連体節と関係詞」であり、「日本語と英語で正反対の係り方(前から後ろへ係るか、後ろから前に係るか)をする名詞修飾節をとりあげ、その基本的構造とその背後にある話し手の認識」が詳らかにされている。「第二章 実体論理性と情況論理性」では、実体に対する話し手の捉え方を表す実体把握の観点から英日両語の表現的特質がそれぞれ捉えられている。「名詞中心と動詞中心」、「代名詞と話法」、「時制と相」および「受動態と使役」の第二章各節がそれらである。「第三章 「もの」の認識」では、「第一節 実体と単位性の認識」と「二節 種類と個体の認識」で説かれた実体観、即ち個別の実体を、その普遍相か特殊相との何れで捉えるのかという認識方法によって、ものの掴み方の表現が日英の間でいかに異なっているかを解明している。就中、宮下眞二の英語論に基づいて、冠詞種類の決定契機を話し手の認識から解く冠詞論(「第二節第二項 冠詞とその認識構造」)、並びに「三浦つとむの助詞論を発展的に継承した助詞論」(「第二節第三項 格助詞「が」・係助詞/副助詞「は」とその認識構造」)に読者は着目されたい。日英/英日の翻訳方法について重要な示唆が得られるであろう。加えて「第三節 格要素の省略と復元」で、南不二男による従属節のABC分類および白井諭の「日本語の階層的認識構造と係り受け解析」(第三巻に所収)を活用して省略されている格の復元法が提案されている。これらの示唆および提案は英訳精度の改善に奏功すると期待される。
本論文と併せて本シリーズ第三巻「自然言語処理への展開」に所収の宮崎論文「言語過程説に基づく日本語解析の試み」および第一巻に所収の池原悟論文「自然言語処理と言語過程説」、加えて第一巻所収の鈴木覺論文「関係詞論―<代名詞>論の批判的検討」を繙かれたい。
五 言語学は、自然科学とは異なり人間実践を研究対象としており、かつ、同じ人間実践の結果ではあるが社会科学の対象とは異なるがゆえに、対象分析の方法も学の展開方法も異なる。人間主体による表現実践の結果である言語表現態は、それ自体としては自立的に運動しないからである。言語は、「誰(主体)かが、誰(場面)かに、何物(素材)かについて語ることによって成立する」(時枝誠記『国語学原論』(一九四一年)がゆえに、主体的活動において言語は脈動する。「常に何等かの場面に於いて行為されるもの」という場所的な表現行為論が『国語学原論』の精神として脈打っている。言語学においては、主体的立場からする学的方法が求められる所以である。本シリーズ全三巻の完結が学的論議のきっかけとなるならば、編者および執筆者の望むところである。仮説としての言語過程説を科学的言語学として確立するために、今後も学的研鑽に精進する所存である。
『言語過程説の探求』の三巻完結に至る歩みは蝸牛の如くであったが、その道程に一つ一つ、里程標を建てることが漸く叶なった。「言語・認識・表現」研究会において学際的なご論議を賜った学究諸氏に深く感謝する。明石書店大江道雅氏には寛容の心で三巻完結に至るまで見守っていただいた。多謝申し上げる。
二〇二三年夏
佐良木 昌
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